(旧)研究メモ

kennkyuumemo

思い出すシリーズ① (環境の話)

アメリカで物理学の修士を取ってみようかと大学院に入学してみたものの、めっきり行かなくなってしまったのだけれど、

 

TOEFLの点が必要最低点以上ではあるものの推奨の水準には足りてなかったため、英語の授業を3つ受ける必要があって、最初のクラスは満点とって突破する程度のモチベーションがあったのだが、ふたつ目のクラス(たしかライティング)に参加して初回か2回目くらいの講義で、一つ目のクラスと矛盾する内容があって減点され、こんなことやってる暇ないわと我に返った。仕事でちょうど昇進したり日々なんらかの達成感を得ている上に、すでに持っている修士の称号を得るためにすでに知っている学部レベルの電磁気学量子力学をやり直すモチベーションがなかなか湧かなかった。やり直すならストレートに博士課程に行こうと思った。)

 

そういえば過去に誰かから、今から思えば的確なアドバイスを得ていたことを思い出した。学部4回生の時に、単位をほとんど取り終えてあとは卒業研究だけという状況で、所属していた研究室の専攻に関わる素粒子物理学のクラスを軽い気持ちで取っていた。その授業を受け持つ先生は当時の自分からすると偏屈な人で、授業の板書も英語で書いていて、日本語でやってくれんかなとかぼんやり思っていた。ある日、突然その先生が大学院進学の話を始め、海外に行くことを強く勧めていた。それがあまりにも自分にとっては想像の範疇を超えた内容の割に、その先生は当たり前のように話していたのが印象的で、頭の片隅に残っていたようだ。

 

就職して東京に出て、東大生が半分みたいな会社に入った。そこでは逆に、自分の想像の範囲外だったことがある程度当たり前な価値観を持つ人たちがちらほらといた。海外で学ぶということをすでにやってきたやつ、その後実際に海外で博士になったやつなんかがいた。そういう人が近くに存在する環境では、人は能力がどうあれ海外で学ぶということが選択肢として存在することを肌身で知ることになる。実際に自分も影響を受け、なぜかいま海外で働いている。

 

今の自分の立場であればあの時の先生と同じことを言うであろう。学部を出ようなんてくらいの若者は何をしようが前途有望で、そこまで個々人に能力の差はない。むやみに日本だけに選択肢を狭めることは勿体無いと思うだろう。しかし、逆の立場から、あの時の自分にはそれがどういう伝え方であれ響かなかったことは自分がよく知っている。あの時、あの先生が言っていたことを真に受けてワシントン大学に行っていた可能性はゼロだろう。自分の意志をはっきり持って人生の目的に向かって突き進んで行くような人は稀だ。そうでない自分のような凡人にとって結局は周りの人が世界の全てであり、その範囲で起こらないことは存在しないに等しい。なんなら、大学で学業に専念するという思えば贅沢の極みでしかないことすらフイにしていた。学費を払うのが自分でないという理由だけで、ここまで価値のあるものを人はドブに捨てることができる。そういう若者(過去の自分)に対して、アドバイスのつもりで本人たちが知覚していない選択肢は挙げてみるものの、それが現実として捉えられることはほぼない。こういうことを30代をすぎて学んだ人は、子供に中学受験をさせようという思考になるのだろうか。